赤バットを持った「打撃の神様」 巨人軍V9の名将 川上哲治氏死去 [スポーツ]
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赤バットを持った「打撃の神様」 巨人軍V9の名将 川上哲治氏死去
日本プロ野球を代表する、とても偉大な野球人がこの世を去られました。
川上哲治(かわかみ てつはる)
プロ野球ファンであれば、恐らくこの名前を知らない人はいないほど偉大な野球人ですね。
とはいえ、経歴などは知らない方もいるでしょうから、簡単に説明します。
1938年に「東京巨人軍」(もちろん今の「読売(巨人)ジャイアンツ」)に入団。
当初は投手としての登録だったが、当時の監督だった藤本定義は川上の打撃に注目しており、
一塁手にコンバートされたことで打撃の才能は一気に開花。
打撃の神様と呼ばれ、
「ボールが止まって見える」という信じられないような感覚を持つに到る。
トレードマークは赤バット。
結果、現役通算1979試合で、巨人軍の4番として1658試合に出場。
打率3割1分3厘 本塁打181本の成績を残す。
1958年に現役を引退。現役時代に着けていた「背番号16」は、永久欠番に。
ちなみに赤バットとは、1946年8月26日の中日戦、
銀座の運動具メーカー南風運動具店からプレゼントされた物で、
その「赤バット」は川上哲治氏のトレードマークに。(ただ、同年限りで使用禁止に)
その後1961年に巨人軍第8代監督に就任。
1965年からは、日本一の9連覇いわゆるV9を達成するなど、
1974年に退任するまでの14年間で、1066勝739敗、勝率・591という、
驚異的な成績を残した。
もう本当に、いにしえの大野球人ですね。
特に監督時代の「V9」は、これからも「伝説」として語り継がれることでしょう。
いちプロ野球ファンとして、心よりご冥福をお祈りいたします。
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赤バットを持った「打撃の神様」 巨人軍V9の名将 川上哲治氏死去
日本プロ野球を代表する、とても偉大な野球人がこの世を去られました。
川上哲治(かわかみ てつはる)
プロ野球ファンであれば、恐らくこの名前を知らない人はいないほど偉大な野球人ですね。
とはいえ、経歴などは知らない方もいるでしょうから、簡単に説明します。
1938年に「東京巨人軍」(もちろん今の「読売(巨人)ジャイアンツ」)に入団。
当初は投手としての登録だったが、当時の監督だった藤本定義は川上の打撃に注目しており、
一塁手にコンバートされたことで打撃の才能は一気に開花。
打撃の神様と呼ばれ、
「ボールが止まって見える」という信じられないような感覚を持つに到る。
トレードマークは赤バット。
結果、現役通算1979試合で、巨人軍の4番として1658試合に出場。
打率3割1分3厘 本塁打181本の成績を残す。
1958年に現役を引退。現役時代に着けていた「背番号16」は、永久欠番に。
ちなみに赤バットとは、1946年8月26日の中日戦、
銀座の運動具メーカー南風運動具店からプレゼントされた物で、
その「赤バット」は川上哲治氏のトレードマークに。(ただ、同年限りで使用禁止に)
その後1961年に巨人軍第8代監督に就任。
1965年からは、日本一の9連覇いわゆるV9を達成するなど、
1974年に退任するまでの14年間で、1066勝739敗、勝率・591という、
驚異的な成績を残した。
もう本当に、いにしえの大野球人ですね。
特に監督時代の「V9」は、これからも「伝説」として語り継がれることでしょう。
いちプロ野球ファンとして、心よりご冥福をお祈りいたします。
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2013-10-31 16:26
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